お布施について
仏教用語では、お布施は「布施行(ふせぎょう)」といい、ひとつの修行との考え方があります。これは執着を離れるための修行ですから、自発的に行うべきものという考え方です。また、基本的な仏教の教えでは「人生は苦しみであり、苦しみから離れるためには、執着から離れる必要がある」と伝えられています。
そのため、仏教界でも「お寺側からお布施の額を提示するのはおかしい」といった議論があることは事実です。しかし、お寺も社会の中のシステムのひとつであり、俗世と離れた存在で居続けることは不可能と言えます。私自身が社会学を学んでいたことがあるため、余計にそう感じる部分があるのでしょう。
お寺であっても、施設や建物を維持・運営するためには、費用がかかります。住職であっても、経済活動の中で生きていることに変わりはありません。社会の仕組みの中で生きている以上、逃れることはできないのです。
だからこそ、お寺側も、色々な要素を総合的に判断した上で、お布施について説明する義務があります。妥当な金額は、お寺や組織によって異なるものですが、説明責任の存在は否定できません。
真願寺は宗教法人であり、また周囲の寺院との関係上、現段階ではWEBサイトに具体的なお布施の額を記載することを控えさせていただいております。しかし、電話等でお尋ねいただいた際には、具体的な相場をお答えいたします。ご依頼後に後出しのような形でお伝えすることはございませんので、どうぞご安心ください。
「お心で」「お気持ちで」では、
依頼される方が不安です
例えば、お寿司屋さんに行き「時価」と書かれていたら、どうでしょうか?「一体いくらかかるのだろう?」「予算をオーバーするのでは?」など、多くの方は不安を感じるのではありませんか。真願寺では、お布施も同じだと考えます。
「お心で」「お気持ちで」と言われた場合、妥当な金額を自分で考えなければいけなくなります。しかし、妥当な金額を推測することは、とても難しいものです。特に県外、市外から移り住んできた場合であれば、尚更です。
真願寺の近隣地域には、九州、京阪神、関東など様々なご出身の方がいらっしゃいます。そのため、依頼される方の不利益にならないよう、ある程度基準を定めた上で、お伝えしています。